アステカデータ 遺跡) テオティワカン(teotihuacan)  アステカ文明、トルテカ文明の前に栄えた文明である。「太陽のピラミッド」  「月のピラミッド」等がある。また、「死者の大通り」という中央道路であ  り、その通りには「ケツァルコワトルの神殿」、「ジャガーの宮殿」、「ケ  ツァルパパロトルの宮殿」などの建造物が並ぶ。「テオティワカン」という  名前は後のアステカの人々が、「神を持つ人々の場所」と呼んだためで、文  明の担い手が何と呼んだかは分かっていません。この文明が、後のトルテカ、  アステカに影響を及ぼした。また、同時期のマヤにも影響を残している。現  在はというと、観光のスポットとなっている。 チョルーラ(Cholila)  メキシコのプエブラ州にある遺跡である。古典期においてテオティワカンに  次ぐ都市であったと言われている。建造物などがから見ると、テオティワカ  ンとの交流もあったようである。 トゥーラ(Tula)  高度な文明を持つトルテカ人の都市であったらしい。テオティワカンが滅ん  だ後に成立したとの説がある。ナワ語の都市を意味する「トラン」からトゥ  ーラというこの名前が来ており、伝説で登場する「トラン」との区別が必要  である。  ティノチチトラン(Tenochtitlan)  スペイン人によって征服された時のアステカの首都だったところ。この都市  はテスココ湖の島に築かれました。この都市には網の目状に水路が作られて  いたそうです。人々はこの水路を交通手段に使っていたといわれます。この  同じ島の北の地域はトラテロルコという商業都市でした。  部族神であるウィツィロポチトリやトラロックの大神殿を始めとして、神殿  が数多くあったようである。アステカでは数多くの神が信仰されていたので、  その神のための神殿を作っていたようで、数が多かったのだという。これら  の神殿では日常的に人身御供の儀式が行われていたようです。  現在のメキシコシティはこの都市の上に築かれました。多くのアステカの建  造物が埋没しているので、現在は神殿などの発掘が行われている。 テスココ(Texcoco)  アステカの隣国のあったところである。アステカと同盟を結んでメソアメリ  カに勢力を拡大していった。テノティチトランの東に位置する。 トラコパン(Tlacopan)  アステカの隣国のあったところである。アステカと同盟を結んでメソアメリ  カに勢力を拡大していった。テノティチトランの西に位置する。 アスカポツァルコ(Azcapotzalo)  アステカの人々が傭兵として仕えたと言われるテパネカという国家が位置し  ていたらしいところ。アステカは隣国のテスココとトラコパンと協力してこ  のテパネカを倒したと言われる。 ツィンツンツァン(Tzintzuntzan)  メキシコのミチョアカン州にある。アステカの西に位置しており、タラスコ  という国家があった。円形のピラミッドと長方形のピラミッドを組み合わせ  た「ヤカタ」という建造物が特徴的で、この地方の民族とはかなり違った文  化を持っていたらしい。 トラスカラ(Tlaxcala)  アステカの東に位置していた都市遺跡。アステカと同じナワ系の人々がいた  らしい。アステカに屈しなかったが、生贄を取り合うことを申し合わせて戦  ったといわれる「花戦争」を行ったりした。 ショチカルコ(Xochicalco)  メキシコのモローレス州にある遺跡である。テオティワカンが衰退した後に  台頭してきた中規模の都市という説がある。遺跡の中央に羽毛のある蛇の神  殿があり、メキシコ的なものもあるが、人物などはマヤ的でもあり、色々な  文化が入って来ているらしい。 テオテナンゴ(Teotenango)  メキシコのトルーカ州にある遺跡である。建造物などにはショチカルコとの  類似性が見られる。 エル・タヒン(El Tajin)  メキシコ湾岸部にある遺跡である。人身供犠に関連のある球技を行ったと言  われる球技場が多数みられる。古典期からあったと言われるが、テオティワ  カンが衰退した後に最も栄えたという説がある。