マヤデータ 他の文化との関連) かなり古いと言われているオルメカ文明との関連性についても議論の対象になっていま す。オルメカ文明の影響を受けながら発展したのは確実であろう。亜オルメカ文化はカ ミナルフユ、イサパといったところを通じてマヤへ入ってきたと考えられている。 後のトルテカ、アステカへと受け継がれるテオティワカン文化が紀元前200年ごろか ら栄えはじめて、紀元500年頃に最盛期を迎えたらしい。これが、マヤに大きな影響 を与えました。これもやはりカミナルフユを通して影響があったようである。 ティカルの石碑にはテオティワカンの雨の神であるトラロックが書かれていたことから、 かなり大きい影響と交流があったようである。ちなみに、マヤの雨の神はチャクという 名前である。その後、この時代の偉大なマヤの都市は衰退して、森の中へと消えて行く。 その後トルテカ人の進入を許したりしてチチェン・イッツァが建設された。そこでもマ ヤの神とメキシコの神の共存という状態になっていた。このトルテカを率いていたのは やはりククルカンという人物であったらしい。このチチェン・イッツァにククルカンの 神殿が見られます。 その後、正体不明のイッツァ族が登場し、各地を移動した後にチチェン・イッツァを占 拠しました。このイッツァ族を率いていたのもククルカンという人物であったといいま す。彼らはトルテカを模倣していたと思われます。 イッツァ族は後にマヤパンを建設しました。ここにもククルカンの神殿が作られました。 ア・シュパンの乱で滅亡し、マヤ自体が戦乱になり、ほぼ滅亡状態で西欧人と接触し、 完全に滅亡させられた。しかし、マヤ族は西洋の支配に長く抵抗を続けたようで、勢力 は衰退してもその後300年以上も抵抗は続けられた。 マヤの勢力が衰退した原因については様々な説がある。