マヤデータ トルテカ) テオティワカンを中心とした文明の崩壊の後に登場するトルテカという民族について思 いつくのは戦士のイメージである。彼らは遺跡トゥーラを主な居住としていたらしい。 トルテカ人はナワトル語を話すチチメカから出た人たちであると言う。チチメカとはメ キシコよりも北方の好戦的な部族で、狩猟生活者だったらしい。このチチメカという呼 称は南の農耕民の言葉である。このチチメカとのかかわりを持つトルテカ人は単一の民 族では無く他民族の集団だったらしい。 トルテカの文化は高く、そのことは後世の伝承などや遺跡トゥーラに見られる建造物を 見れば量り知ることが出来る。これらはテオティワカンの文明を更に発展させたものだ ったと思われる。 このトルテカのトピルツィンという王はケツァルコワトルという称号を持っていたらし い。しかし、テスカトリポカに忠誠を誓う戦士たちと抗争が起きて、結局はトピルツィ ン・ケツァルコワトルは敗れ去ったらしいのです。これが後には神話として語られるよ うになり、アステカなどを含むこの地方全部で有名なケツァルコワトルが東の海へ去っ たという話になるらしい。これに関しては様々な結末の話がある。 テスカトリポカに忠誠を誓ったのは鷲軍団、ジャガー軍団などと呼ばれる戦士たちだっ たようです。 実際には敗れたトピルツィン・ケツァルコワトルはユカタン半島へ流れたというマヤの 伝説がある。マヤではククルカンが来たということになっているが、年代からしても彼 のことである確率は高いようである。このククルカンによって、チチェン・イツァとい うトルテカ文化とマヤの混ざった都市が作られることになったと考えられる。このチチ ェン・イツァではトゥーラが再現されたような壮麗な建造物が作られた。チェックモー ルなどもマヤに流入したトルテカ的な文化の一つである。 そのトゥーラは戦乱が続いて、やがては放棄されたようである。