マヤデータ トルテカ別説) 定説となっているトルテカのことに関して、チチメカとの関連から異なる説が 出されているようです。定説よりも真相の近いと思えるので、ご紹介しておき ます。 まず、トルテカという呼び名がナワ語であるということであることに注目しな いといけない。そしてトルテカという人々が自分を呼称したものではなく、ナ ワ語を話すチチメカ人がそう言っているのである。トルテカとは「トランの住 人」という意味であり、「トラン」とはナワ語で「葦が密生するところ」、つ まり「葦が密生するように人口の多いところ」を指します。つまり都市のこと を「トラン」と言っていたのです。つまり、トルテカとは「都市の住民」とい うことになります。これはチチメカが狩猟民であったことから、そう言ってい るようなのです。 では「トラン」とはどこを指すかというと、チチメカが遭遇したときには既に 遺跡となっていたテオティワカンであり、その後に出来たテオテナンゴ、トゥ ーラ、チョルーラ、クルワカンなどである。テオテナンゴはチチメカによって 征服された。そしてチチメカ人は自分たちをテオテナンカを名のって、その後 にテナンカ・チチメカ王国を作ったようである。 トルテカの伝承がトゥーラで起こったように書かれるのはトラン(トゥラン) という名前を冠した都市の出来事だったからである。そしてトゥーラは実は シココティトランという名前なのである。 トゥーラも最初はテオテナンゴ様式の建物を建設していたが、その後新しい様 式の建造物が建てられるようになった。そして、この新しい様式と酷似してい る建造物がとユカタンのチチェン・イッツァの遺跡でも作られた。これから考 えてもチチェン・イッツァからのマヤの新しい文化が伝播したためと思われる。 その後トゥーラもチチメカに征服されてしまい、破壊されるようである。チチ メカ人は自らをトルテカと呼称しはじめた。 アステカの時代までトルテカの伝統を守ったのはクルワカンという都市も、実 はチチメカ人の進入を許してしまっていた。 チチメカの歴史への関与を考えるとチチメカというものの存在が単なる野蛮な 人たちではないとわかる。しかし、チチメカの特質である自らの呼称を変化さ せるということから、存在が曖昧になった。そして、チチメカの支配層を持つ アステカの民も、自らを神ウィツィロポチトリ=メシの選ばれた民であるとい う名前メシカ(メキシコの語源)と呼んで、自分たち以外のチチメカを蛮族と したところからも、チチメカのイメージを決定付けるのに大きな影響を与えた らしい。 参考文献:「ラテンアメリカ」(朝日新聞社、大井邦夫、加茂雄三著);この 本は御勧めです。オルメカの時代からスペイン人の入ったあとの歴史までが書 かれているので、この地方を理解するのに役立ちます。