マヤデータ  古典期の衰退についての新しい見方)    ユカタン半島の南部低地はティカル等の大きなセンターが存在していたのが  全盛期を古典期に迎えて、その後古典期が終わるとともに衰退して行ったよ  うです。そうしてマヤ文明は華やかな時代に幕を下ろしてしまうというのが  定説のようですが、それに対しても新しい見方があるようです。   詳しい内容は以下の本を参照してください。   新しい考古学と古代マヤ文明    ジェレミー・A・サハロフ著 青山和夫訳、新評論  この本では、古典期に栄えたセンターから次第に北部低地やプウク地方、つ  まり北に移っていったという考え方をするようになってきたと、書かれてい  ます。あるセンターが衰えて、別のセンターが栄えたのではなく、マヤの文  明が移動していったと考えれば、それは古典期のセンターの衰退はマヤ文明  の衰退に直結させる必要がなくなるわけです。(この考えには、素人の私も  納得できる気がします。文明の担い手が忽然といなくなるというのは、考え  にくいからです)  マヤ文明は北部低地やプウク地方の繁栄からチチェン・イツァーへと続いた  ものと考えると、南部低地から北部低地やプウク地方さらにチチェン・イツ  ァーに至るまではやはり類似したマヤ文明であったと考えられる、というの  は遺跡を見ると確かに…そうだろうと素人的には素直に納得してしまいます。  チチェン・イツァーあるいはマヤパンの衰退が本当のマヤの衰退だったのだ  という見方は、今までティカル等の南部低地のセンターを評価しすぎて、北  のセンターを劣ったものと見なしすぎていた…そういう本を見ていた私も含  めて、確かに新しい見方です。