先古典期から古典期へ) この「先古典期」という言葉はマヤ全盛の時期を「古典期」と名付けて、それ に先立つ時代を指している。土器などが作られたり、限られた場所に都市国家 が形成された時代とされている。通説としては、古典期は西暦300年頃から といわれていたが、現在では大幅に修正されていて、遅くとも紀元前300年 頃くらいが境目であろうと言われている。 こういう見方の変化はティカル遺跡の調査や、北のジビルチャルトゥン遺跡や コムチェン遺跡、南のエル・ミラドール遺跡、セロス遺跡、ラマナイ遺跡、ク エリョ遺跡などでの調査の成果である。 従って、紀元前300年以前が先古典期ということになるが、その頃のことは よくわかっていないのが現状である。これは古い遺跡の上に古典期の遺跡を作 ったからだといわれる。しかし、少ない調査の成果からは、紀元前1000年 頃までにはマヤ低地と呼ばれる地域に定住を始めたという仮説が唱えられてい る。この頃から古代マヤ人はトウモロコシを栽培していたと思われる。紀元前 600年頃から人口が急増していき、人口の増加から集落が生まれ、農作物を 作る農民に対して自然界との仲立ちである神官の地位が高くなっていったので あろう。古典期に近づくにつれて、次第に祭壇が大規模になっていったと推察 される。                               (KOTONO)